破戒

幼き頃から“出来損ない”と、呼ばれて育った。

 

 

 

 

 

両親は、そんな私を不憫に思ってか、誰の目にも留めないようにと、家屋の地下に窓の無い部屋を与えてくれた。

 

 

 

 

窓は無いが、毎日花が生けかえられ、食事を運んでくれるそんな部屋の何処に不満があるというのだろう。

 

 

 

私はそんな生活を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

世界の広さを測るには小さ過ぎるその部屋が、私のような“出来損ない”にとってのすべてだった。

 

 

 

 

私を知る者はほんの少しの身内と、時折訪れる羽虫以外には誰も居なかった。

 

 

 

 

四季すら知らず過ごす日々の中でも、少なからず季節の移り変わりを知っていた。

 

 

 

 

春は眠く、夏は暑く、秋は寂しく、冬は空気がきれいだった。

 

 

 

 

 

りりりり

 

 

 

りりりり

 

 

 

 

虫の声は近くて遠くて、そして愉快で悲しげだった。

 

 

 

虫達は皆、同じ歌を知っているのだと、感心したものだ。

 

 

 

 

 

私も誰かと一緒に歌ってみたかった。

 

 

しかし、出過ぎた欲だと、“出来損ない”のクセにと、自分を恥じるだけにした。

 

 

 

 

 

 

言葉は知っていたが、声に出すと、その言葉自体の美しさを損ないそうで恐ろしかった。

 

 

 

母は、私が言葉をしゃべれないのだと思っていたが、私は自分でしゃべる事を遠慮しただけに過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

「可哀想に」

 

 

 

母は私の頬を撫でながら「可哀想に」と、よく泣いた。

 

 

 

私は「可哀想」で「不憫」であるらしかった。

 

 

 

 

 

 

“出来損ない”のクセに何不自由ない生活を送っている私の何処が「可哀想」だというのだろう。

 

 

 

こんな“出来損ない”を子に持った母の方が幾倍も「可哀想」であるはずだ。

 

 

 

感謝こそすれど、自分の境遇を呪った事など一度もあるはずはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

母は呪っただろうか。

 

 

 

母は、母の運命を呪ったのだろうか。

 

 

 

 

 

少し痩せたように見えるのは、私の存在のせいかと思い、すぐ打ち消した。

 

 

 

私みたいな“出来損ない”がおこがましいと、自嘲した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父にも悪い事をした。

 

 

 

 

首を切り落としても私が生き続けるとは、夢にも思わなかった事だろう。

 

 

 

 

“出来損ない”のくせに、殺す事すら出来ないとは、厚かましいにもほどがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も私はこの小さな部屋で

 

 

 

声にならない声で歌う

 

 

 

私以外の人々の幸福を願う

 

 

 

おこがましいだけの歌を

 

 

 

 

 

 

 

願う事すら許されるはずがない

 

 

 

そんな私の破戒の歌