ミルクティ

 

 

通り雨が濡らしたアスファルト

夏の匂いを放ち

今から本格的な夏が来ることを予感させた

 

夏期講習に埋め尽くされてはいるが

「明日から夏休み」というだけで

こんなにも心が踊るのはなんでなんだろう。


世界はこんなにも美しく

世界中から祝福されているかのようだ。

刑務所から出所する時もこんな気持ちなのかな。


一生このまま夏休みが始まる前日に

タイムリープしたいくらいだ。

 

浮かれていた。

自分の家を通り過ぎても気づかないほどに浮かれきっていた。

 


気づけば家から5分ほどの高台にある公園に到着し、私は夏休みの開放感からか履いていたスニーカーを脱いでみた。


「明日から夏休み」に浸り、満足げな私にどこからともなく声をかけてくる人が居た。

 

「そこの女子学生」

 

声をかけられて振り返ると、そこには若い男の人が居た。

この辺では見かけないタイプのその人は、髪も肌も白く近寄りがたい感じの人だった。


「はい」


知らない大人とは喋ってはいけないと、警戒心を丸出しにした私にその男の人はこんな事を言った。


「死ぬのか? そっから飛び降りて」


その人は私の脱いだ靴を指差して、その指した指でフワリと弧を描き下に向けた。


私は驚き「死にません」と、答えた。


その人はその答えに納得したのか、そもそも答えなんか求めて無かったのか、別の質問をしてきた。


「ここら辺には猫が多いのか?」


猫?


私は少し考えてから「はい」と、こたえた。


男の人は少しだけ笑ったように見えたけど、すぐに笑いを引っ込め「困る」と、言った。


私は警戒心をむき出しにして「すみません」と、その場を去ろうとした。


「浮気しない男なんだよねオレ」


その人は本当に困ったみたいにそんな風に言うから私は思わず


「知らないです」と、答えてしまった。


男の人は少し怒ったみたいな顔になり「しないよ?」と、自信満々に答えた。


その男の人が言うには、自分には愛するピンクという猫がいて、その猫以外には愛想を振りまかないと決めているとの事で、引っ越しして来たばかりなので、この辺に猫が居ないか偵察をしているらしかった。


そうですか。


私がそう言い終わらないうちにその男の人は、結構離れた場所に猫を発見したらしく「猫! あっ!」と、言い残し、その猫の方へ一目散に走って行ってしまった。


私はぺこりとお辞儀をして、急いで靴を履き、逃げるようにその場から立ち去ったのだった。

 

 

その日を境に、何故だか私はその男の人と一緒に過ごす事が多くなった。


不思議なほど、その男の人は私を退屈させなかったし、夏期講習以外の予定も特になかった。


『夏休み』という期間にはなんだって受け入れてしまうナニかがあるのかもしれない。

 


夏期講習を二回行ったあたりからその男の人と私との関係性がおかしくなった。


私をその男の人は『鈴木』と呼び、私はその男の人を『佐藤』と呼んだ。


佐藤はビックリするほど暇らしかった。


中学生の私くらいしか喋り相手が居ないらしく、私を見つけると犬のように走り寄ってきた。

 

最初は少し怖かったけど、次第に私は佐藤に敬語すら使わなくなった。


佐藤はこの辺りの猫にあだ名をつけては、私に伝えてきた。


『ダルメシアン』とか、犬種の名前すら恥ずかしげもなくつけるような佐藤だった。


私は佐藤のあだ名のセンスを気に入っていたし、佐藤はそれを知っていた。


新しい猫を発見すると、佐藤はエヴァンゲリオンの挿入歌を歌う癖があった。

荘厳な歌を佐藤が歌うとなんとも間抜けな感じがして、それも私は気に入っていた。


エヴァンゲリオン好きなの?と、聞いてみたら「新しい猫のあだ名候補か?」と、佐藤は素っ気なく答えたのだった。

 

 

4回目の夏期講習をサボったのは、佐藤が熱を出し顔を見せなかったから。


私は佐藤のマンションに上がり込み、殺風景な部屋でマリオカートをした。


佐藤は文句ばかり言って、最後は自分でコントローラーを握っていた。

佐藤はいつものエヴァンゲリオンの歌を口ずさみ、私はその歌がマリオカートと案外合うんだなと感心した。

 


私はふと気になった事を口にした。


「佐藤、猫のピンクは?」


佐藤はコントローラーを握ったまま「一年前に死んじゃった」と、答えた。


佐藤はマリオカートで素晴らしい走りを見せ付けながらこう言った。


「鈴木、ピンクはなんで死ななきゃいけなかったんだ? あんなにいい奴だったのに」


そしてこう付け加えた


「もっと死んだほうがいいやついっぱいいるだろ?」

 

佐藤は「ああ、鼻水が止まらん」と、ティッシュで鼻水ともう少し上も抑えた。


私は佐藤が泣いてるような気がして、胸が少し痛くなった。

 

 

佐藤がマリオカートでカーブを曲がるときに少し体が傾くのと一緒に佐藤の白髪が揺れた。


「佐藤のそれ地毛?」


佐藤は「おしゃれ」と、言ってのけ、私は大きな声で笑った。


何故だか佐藤も爆笑し、いつもの佐藤に戻って嬉しかった。

 

8回目の夏期講習をサボる頃、私はまるきり罪悪感を失っていた。


罪悪感を失うついでに、髪を赤く染めて佐藤を驚かしたいと意気込んだ。


赤く染めた髪はなんだか大人っぽくて「おしゃれ」だった。

 

赤く染めた髪を佐藤に早く見せたかった。

そして少し照れくささもあった。

 

 


だけどその次に会った佐藤は私の想像とは少し異なる反応を見せた。


私の変化に気づかないふりをしたのだった。


佐藤はいつものように、猫のあだ名当てクイズを出すだけで、私の髪については触れてもこなかった。


私はシビレを切らし、自分から伝える事にした。


「髪染めてみた」


佐藤は微妙な表情で「ああ! ほんとだ!」と、とても下手な演技だった。


「変かな?」


私は意地悪な気持ちになって佐藤に問うた。


「大丈夫」


佐藤は「似合う」とは言ってくれず、私は少し悲しくなってこんな事を言った。

 

「佐藤の白と私の赤を混ぜたら「ピンク」だよ」

 

佐藤は少し悲しそうな顔になってこう言った。

 

「鈴木よ、それはピンクじゃない、・・・ミルクティだ」

 

確かに紅茶色の私の髪と佐藤の白を混ぜたらミルクティだった。

 

 

佐藤に乙女心をわかるとは思ってなかったが、それでも少し胸がチリリと痛んだのを覚えている。


佐藤は私のそんな気持ちを知ってか知らずか、新しく発見した猫に『エヴァンゲリオン』と、あだ名をつけたのだった。

 

 

 

夏期講習に行く事すら忘れた頃、佐藤がまた姿を見せなくなった。


私は佐藤の家の鍵のありかを知っていたから佐藤の家に入ることは簡単だった。


佐藤は家のどこにも居なかった。


久しぶりに尋ねた佐藤の部屋はやはり殺風景で、何とも寂しくて私は佐藤の歌うあの歌を口ずさんでいた。


「フロイデ シェーネルゲッテル フンケン トホテル アウス エーリージウム…」


ベートベン交響曲第9番「喜びの歌」とも言うんだと佐藤が教えてくれた。

 

 

とりあえずベッドに腰掛けると、バサっと、何かが落ちた。


袋に入った写真の束だった。


人の写真を見るもんじゃないと、何処からか聞こえた気がしたが好奇心には勝てなかった。


だけど、数枚見るうちに何処からか聞こえた声の言う通りと、私は思い知ったのだった。


ピンクだと思われる猫の写真と、ピンクを抱く真っ赤な髪の綺麗な女の人の写真。

 


そうかそうか

彼女の髪と混ぜたらキレイなピンクだな


そうかそうか

私は佐藤が好きだったんだな

そうか。そうか・・・。


涙は出なかった、ただなんとなく気恥ずかしかった。

 


夏期講習をサボっていたのが親にバレて、私はサボらず残りの夏期講習に通った。


佐藤は姿を見せず、夏休みが終わろうとしていた。


私は未練がましくも佐藤の家の前をウロウロしたりはしたが、もう部屋には勝手には入ることはなかった。

 

 

最後の夏期講習が終わったある日、


佐藤の部屋のドアが開いているのを発見して、私はドアに走り寄った。


勢いよく部屋に入ると、知らない女の人が居て驚いた。


「間違えました」と、部屋を出ようとすると、女の人に呼び止められた。


「鈴木さん?」


私は立ち止まり「はい」と、答えた。

 

その女の人は佐藤の妹だと言って、笑顔から急に泣き顔になった。

 


嫌だ。


すごく嫌な感じ。


きっと今から嫌な事をこの人は言うから気をしっかり持たなきゃと、私は歯を食いしばった。

 

 

『佐藤が死んだ』と佐藤の妹は言った。


鈴木さんにはお世話になってとか、言っていた気がするがほぼ何も聞こえなかった。


「佐藤が死んだ」以外何も聞こえなかった。


私はその場にへたり込んで、佐藤の妹にとても心配させた。


「佐藤が死んだ」


私は消化できない言葉を何度も口に出してみた。


佐藤の妹はただ心配そうに私が「佐藤が死んだ」と言うたび、「うんうん」と、うなずいてくれた。


玄関先で座り込む私に、佐藤の妹は佐藤のことを色々教えてくれた。

 


佐藤は心を病んでいた事

佐藤は佐藤ではなかった事

佐藤は知らない町の海で死んだという事

佐藤の恋人が佐藤を壊したという事

佐藤の恋人が佐藤を残して死んだ事

佐藤の妹が佐藤の面白さを知らなかった事

佐藤はいつ死んでもおかしくなかったという事

佐藤は鈴木という女子中学生を大事に思っていた事

 

私は笑ってしまうほどに何も佐藤のことを知らなかった事

 

 


「そうだ」と、佐藤の妹は玄関先でもうすっかり寝転がってしまっている私に携帯の写真を見せてくれた。


それは茶トラの子猫の写真だった。


「お兄ちゃん、猫が好きだったから家で猫が生まれたとラインしたの」


いつもラインは面倒臭いと既読スルーする佐藤からめずらしく返信をしてきたと言った。
  

その時のラインを私に見せてくれた。

 

「オレが名付け親になってやろう」

「ミルクティ」

 

その時、私は初めて声を出して泣いたのだった。


佐藤の妹も一緒に声を上げて泣いてくれた。


「ミルクティって言いにくいよね?」

 

佐藤の妹も佐藤と同じくらい面白くて

泣いてるんだか笑ってるんだか

私はわからなくなった。