ある日みた夢のような
その細く険しい道は一人しか通れなかった。
心臓の音が重なるように鳴り響くのに
その先にある光を目に焼きつける事が出来たのは、僕ではなかった……。
ここには様々な事情を抱えた人々が暮らしている。
小さな芝居小屋の中の一人芝居のように、人々は日々をただただ、暮らし続けている。
そんな人々の生活に介入出来るのはただ一人。
タキシードにシルクハットというヘンテコな格好の人物一人だけ。
名前も少し変わっていて、ココに訪れた人にはかならず渡す名刺にはこう書かれている。
「夢前案内人★ムシュリ」
タキシードの裾をサッとなびかせ、少し高いキーの声でこう言うんだ。
「夢前案内人、ムシュリでございますっ」
その後、彼は分厚い書類の束から人々の名前を探し出し、ココでの生活について何度も言い続けてきた言葉をスラスラと並べる。
「ええっと……○○さんですね? ははぁそうですか。何がなんだか解らないと? ええ、みなさん大体そうおっしゃいます。ご心配なく、誰もがそう言うんです、バカの一つ覚えみたいにね!!それではまず、心を落ち着けて聞いて頂きたいんですが、ココは『夢の中』です。はっは~ん、ああ、そっか! 『夢か!』って納得して頂いたみたいですが、そのニュアンス少々違っているんです。確かにココは『夢の中』ですが、俗に言う『夢の中』とは趣が異なるのです」
この辺で大体の人々はムシュリの話を聞かなくなる。そしてこの辺で大体ムシュリは、イライラしてくるのだ。
「あなたね、なんですか? その態度は! それが人の話を聞く態度ですか? 私はね、この道何十年のベテランですよ! 私の助けが無ければあなたココでの生活はもう生き地獄だって気付かないんですか!!!」
イライラし過ぎて肝心な事を言い忘れるムシュリの補足をさせてもらうと、ココは夢から覚めるのをやめた人々が訪れ、夢から覚める為の準備をする場所なのだ。
ムシュリが説明しなくても、実は誰もがホントはココが何処なのか知っている。
それを知ってか知らずか、ムシュリは自分の役割を吐き捨てるように言い放つ。
「さっさと帰り道を探すんです、良いですか? 私はと~っても忙しいんですからね! 」
誰もが悲しみや苦しみを抱えてるはずなのに、ココで過ごす人々はみんななんだかとても楽し気で、ずっと目が覚めなくても良いのではないかと思ってしまうけど……ムシュリはそれを許さない。
「ココでの1日は現世の3日に相当します。あなた一体現世で何才になったかご存じで?」
「私の言葉を何度聞き流せばあなたは……。頭の中腐ってるんですか?」
そう、ここは夢の中なんだ。
現世の身体は眠ったままどこにも行けない。
ココでの生活を続けるって事は多分イケない事なんだろう。
……僕?
僕は……誰なんだろう?
目が覚めるとそこにはタキシード姿のムシュリが立っていた。
僕が不思議そうな顔をして眺めてるとムシュリは僕のおでこに手を当ててこう言った。
「ヒデオさん、少し変ですよ」
「……誰?」
「誰って……ムシュリですよ、夢前案内人の」
「ムシュリ?」
すると、ムシュリは又僕のおでこに手を当てて顔を覗き込んだ。
「ヒデオさん、とぼけたって無駄ですよキャラクター変更したって私の目はごまかせません。あなたにはホント困らせられておりますが、私の意地に賭けても絶対夢から覚めて頂きます」
「僕があなたを困らせてる?」
「……まだそのキャラで? ま、その気ならそれで構いませんが」
「……ごめんなさい。あなたを困らせてるんだね、この僕が」
「そうですよ、ココに来る方々にはちゃんとそれなりの理由ってモノがあるんですよ、絶対に。それなのにあなたと来たら……理由も何も見当たらず、ココに来ても寝てばかりで……。横暴な態度で私を無能呼ばわりして」
「ごめんなさい、眠いんだ。なんだかとても」
「だから! その可愛コぶったキャラお止めなさいよ! ……調子狂うじゃないですか」
「わからないよ、キャラって何?」
「う、も~う! そっちがその気なら私にも考えがありますよ、ええ。俺って言いなさいよ! うるせ~おっさんだなって言いなさいよ! そんな潤んだ瞳で見つめられたら調子狂うの当たり前じゃないですか!」
僕はムシュリの声を聞きながら又眠りに落ちた……。
僕はずっと夢を見ていた。
『夢の中』で『夢』を見ていたんだ。
暗闇から光の元に曝されて、自分の叫び声を耳に響かせ……。
優しい母の面影をぼんやりとした視界に焼き付け
柔らかな温もりを貪るように……生まれてからの日々をただ夢に見ていた。
目が覚めると又ムシュリが目の前に居た。
しかし、今回は背中を向けて少しだけ元気が無い様だ。
「こんばんは、ムシュリさん」
ムシュリはどこか投げやりに挨拶を返してくれた。
「こんばんは。今日もそのキャラですか? ま、どうでも良いけど」
僕は何となく申し訳なくなって、謝った。
「ごめんなさい」
ムシュリはため息をつくと、こう言った。
「さっき言った事本当ですか? 生まれてからの事を夢見てるって」
僕はムシュリにそんな事を言った覚えが無かったが、夢を見てるって事は合っていたのでうなずいた。
「……なんでしょうねぇ。まるであなた死んじゃうみたいですね」
……死んじゃう? そう言えば死ぬ間際に人間は走馬灯の様に人生を見るとか。
そんな事をぼんやり考えてるとムシュリは又大きなため息を一つついた。
「私、この仕事もう人間世界で言えば50年やってるんです。言わばプロ、プロフェッショナルなんですよ。なのに……一度も満足した事って無いんですよ。ココに来る人々をなだめすかして帰すでしょ? で、終了。誰も感謝しない。それどころか……みんなとても悲しそうに帰っていくんですよ、がっくり肩を落として。正しいのかな? って……私のしてる事は本当にみなさんの為になってるのかなぁって思ったりするんです。ココから帰ったらどんな日々が待ち受けてるのか……私には知る由もありません。ただただ仕事だからって、それだけでみなさんを追い返すってどうなんだろうって……」
僕は何を言って良いのか解らなかった。
そしてムシュリも何を言いたいのか解らない様だった。
「50年も続けてるとそりゃ少しはプライドありますよ、ええ。でもね、あなたみたいな特殊なタイプにはお手上げ。まったく何がなんだか解らないのです。どうしてココに来たのか……本人も解らないんじゃ、帰り道も何もあったもんじゃない」
僕は小声でもう一度だけ謝って、また眠りに落ちた。
少し丈の短い学生服のパンツを買い直すかこのまま卒業まで我慢するか……茶色く染めた髪を何度も鏡でチェックしながら僕は考えあぐねている。
友人達とふざけ合いながらでたらめに歌った「あおげばとおとし」……ふざけてなければ涙がこぼれそうで。
兄の居る友人宅で吸ったタバコは苦しいだけでちっともおいしくなかった。
「ちょっと! ヒデオさん! 起きて下さい」
ムシュリに起こされた僕はぼんやりとムシュリを見つめる。
「ああ、またそっちのヒデオさん? ま、いっか。ああ、そうですよ一個解ったんです」
「何を解ったんですか?」
「もうすぐあなた誕生日らしいんですよ、二十歳の」
「へぇ」
「へぇ……って! せっかくの記念すべき日に眠ったまんまで良いんですか?あなたは!」
「……駄目ですか?」
「駄目も駄目、大駄目ですよ、あなた」
「はぁ」
「早く起きなきゃ。 起きてなんかホラ人間界ではホラなんて言いましたっけ?せ、せい、成人式!」
「成人式?」
「そう! 成人式行かなきゃ」
「はぁ」
「はぁってあなた! せっかくの晴れ舞台眠ったまんまで、しかも現世だけじゃ飽き足らず夢の中でも寝てるなんて不健康そのものじゃありませんか!」
「……そうですね、頑張ります」
「はい、頑張って! って、あなた何を頑張るって言うんですか」
「いや、まぁ」
「まぁって……さっきまでの勢いはどこへ行ったんですか?」
「ごめんなさい」
「……もしかして本当にあなたはさっきまでのヒデオさんでは無いんですか……?」
「わかりません」
ムシュリは何か考えるように頭を掻いて、僕を見つめた。
ココで眠ったら怒るかな? なんて思ってはみたものの睡魔には敵わない……。
女の人が泣いている。
僕はホントは女の人を引き止めたいのにつまらなさそうにタバコを吸って外ばかり見てる。
泣きたいのは俺の方だ。
そんな言葉を煙と一緒に吐き出してる僕の声は心とは裏腹に冷たい響きで悲しくなった。
日々違う人間達に囲まれ笑い転げてる。
一人で過ごしてる時はまるで……からっぽ。
からっぽなのが、なんだか申し訳なかった。
こんな俺で申し訳なかった。なんで俺だったんだ?
なんで俺だけ生まれたんだ?
せっかく生まれたのに……俺はこんなにからっぽだなんて。
僕はなんだか悲しかった。
目が覚めると、僕は大きく伸びをした。
ムシュリは相変わらす側に居て、その見慣れた光景に、僕は少し笑ってしまった。
「そうですか、やっと終わりましたか」
「ええ、そうみたいですね」
「私はまったく信じちゃいませんよ、そんな事があるはずない」
ムシュリはそう言いながらも少しだけ嬉しそうだ。
「ヒデオにはお礼を言っておいて下さい」
「わかりました、絶対伝えます」
「ヒデオは何も悪くなかったのに……生まれる力が僕には無かっただけ」
ムシュリは僕の肩にそっと手を置いた。
「あの日も……ヒデオは僕に何度も呼びかけてくれた。がんばれ、がんばれって……一緒にこの暗い闇を抜けて外へ出ようって。だけど僕は途中で諦めたんだ。なのにヒデオは……僕の弟はこんなにも自分だけ生まれた事に罪を感じていたなんて……」
「どうでしたか? ヒデオ君の人生は……あなたへのプレゼントはあなたの目にはどう映ったんですか?」
「素晴らしい、こんなにも生まれる事が素晴らしいなんて……少し悔しいほどだよ」
「そうですか」
「でも……満足しています。ヒデオには感謝しなくちゃ」
「それは良かった。一つだけ聞いて良いですか? なぜ彼はそんな大変な作業を私に内緒で実行出来たんでしょう?」
「多分……本人も気付いていないような深い所がココへ繋がったんでしょう。ヒデオは随分と恥ずかしがり屋な様だから」
「はは! あのがさつなヒデオさんがですか? あは! はははは!」
楽しそうに笑うムシュリに僕は言いたい言葉があった。
「どうもありがとう、ムシュリさん。ホントは知ってたんでしょう?」
ムシュリは一瞬「は!」と、した顔をして、それでもすまし顔をなんとか保ち、
「いえ、私は何にも知りませんでした」
さすがこの道50年のプロは違うなぁ。なんて、思ってると視界がぼやけてきた。
「そろそろ……時間みたいです。ヒデオを帰してやらなきゃ……じゃないと、せ、せ……」
「成人式~!!!!!!!!!」
「……うるせーな。おっさん、成人式、成人式うるせーよ」
ムシュリは、ヒデオの相変わらずの口振りをなんだかとても頼もしく感じた。
「はい! じゃあ帰りましょ、あなたちっとも言う事聞いてくれないから仏のムシュリ様もホトホト疲れちゃいましたよ!」
「だから言ってるじゃねぇか、帰りたくても帰り道が……なんだこれ?!」
ヒデオは無数に伸びる光の道を見つめ、驚いている。
ムシュリはかしこまった態度で深々とお辞儀をして、光の道へヒデオを誘う。
光の道の上に立ったヒデオは一歩一歩戸惑いながらも歩き出す……。
小さくなるヒデオの後ろ姿に、ムシュリは約束を果たすため声をかけた。
「どうもありがとうって! ……お兄さんがありがとうって!」
振り返った照れくさそうなヒデオの顔は、さっきまでココに居た兄の顔にそっくりで……。
もう少しこの仕事を続けてみようかと思ったムシュリであった。